ヒラヤミルクのはじまり

ヒラヤミルクのはじまり

2023年02月09日(木)

昭和24年、稲作の難しさを実感していた創業者の平林卓は、伯父の勧めにより乳牛の導入を検討していた。

田もすいてくれる、牛糞が肥料になる、えさは草を食べておとなしくかわいい、おいしいお乳も出すなどの理由から、考えた末に導入を試みる一大決心をした。

村のどの家にも、黒牛がいるのが当たり前の時代だったが、小さな村の地主だったため農地解放にてほとんどの田んぼはなくなり、生きるための手段として選んだのが、乳牛を飼うことだったといいます。

導入したのは良かったが、1年後に初めての出産で失敗。
生乳が順調にとれるまでには本当に大変な紆余曲折があった。

しかし平林卓は、「この美しい丹後の山野に育った乳牛の新鮮で栄養のある牛乳を毎日たっぷりと飲んで、皆が健康で明るい楽園をめざしたい。」という信念で再挑戦を繰り返した。

挑戦しては挫折の繰り返しで、本当に大変な日々の連続だったが、昭和27年には増頭の兆しがみえ始めた。

初めは一人だったが、徐々に仲間ができ、のちに町内で酪農組合を結成。

昭和31年4月1日、ようやく牛乳処理プラントを設置。牛乳屋として出発した。

商品名も現在と同じ「ヒラヤミルク」と命名した。ヒラヤの「ヒラ」は、平林から、そして「ヤ」は創業者一家で代々襲名してる「弥四郎」という名前から取った。

毎日朝2時から起きて牛乳を作り、手製の布袋に入れた熱々の牛乳を自転車で両脇に下げて配達し、牛の世話、草刈り、牛の世話、田んぼ、畑・・・休まずに家族全員で作業をした。

少しずつ努力が実り始め、販売が増え、今までの苦労が喜びに変わり、お客様への感謝の気持ちでいっぱいになった。

昭和40年に「神野牧場」として牧場を設立し、昭和40年には法人組織「平林乳業株式会社」を設立。

昭和58年にはホルスタイン種からジャージー種に変更。

徐々に牛の頭数も増え、次第に「丹後の牛乳」「北近畿の牛乳」とし て、地域の方々にご愛顧いただき、60校を超える地元の学校への給食で子供たちに飲んでいだたけるようになりました。

そして現在では、丹後出身のみなさまを中心に、オンラインショップで全国からの注文も増え、口コミが広がり、日本中の方々にご利用いただけるようになりました。

みなさまに飲んで頂いていることは大変有り難いことです。

「牛乳で皆が健康であってほしい。」

この創業者の精神を企業一丸となって受け継ぎ、今後も最善を尽くす覚悟でやってまいります。